ー南米で人気のスポーツは?
南米もしくはウルグアイの地図を見ると、ウルグアイはアルゼンチンとブラジルに挟まれた小さな国であることがよくわかります。
さてここでクイズです。
南米各国で最も人気のあるスポーツ、またこの三ヶ国が非常に強いスポーツは何でしょう?
そう!サッカーです!!
ご存知の方も多いと思いますが、ブラジル・アルゼンチン・ウルグアイはワールドカップで複数回優勝したことがあるサッカー大国なんですね。
ー南米はサッカー選手の宝庫
ブラジルならペレやジーコ、ロナウジーニョ、最近ではネイマール。
アルゼンチンならマラドーナ、バティストゥータ、テベス、メッシ…挙げたらきりがありません。
サッカーに興味ない人でも名前を耳にしたことがある有名な選手たちがブラジルやアルゼンチンにはゴロゴロいます。
では、ウルグアイにはどんな選手がいるのでしょう?
レコバ、フランチェスコリ、カバーニ、日本でもプレーしたことがあるフォルラン、そして、スアレス!!ウルグアイの選手も中々のラインナップです。
ーウルグアイがサッカー大国な理由
ブラジルやアルゼンチンは非常に大きな国ですしそれなりに人口も多いので、素晴らしい選手が出てくる確率が他の国と比べると高いです。
それでは何故、ウルグアイはブラジルやアルゼンチンと比較すると明らかに小さな国であるにも関わらずサッカーが強いのでしょうか?どうして良いサッカー選手が出てくるのでしょうか?
おそらく、単純に人口の多い少ないの問題ではないということは簡単に想像がつくと思います。
もし人口と良いサッカー選手の割合が比例するなら、中国はサッカー大国になるはずです。ゆえに人の頭数は関係ありません。どちらかというと、サッカーが上手になりやすい環境がそこにあるかどうかということが重要なのです。
要するに、ウルグアイにはブラジルやアルゼンチンと同様にサッカーが上手くなる環境があるため、世界で活躍できる選手が多いのです。
これがウルグアイがサッカー大国たる所以なんですね。
ーサッカーが上手くなる環境とは?
それでは、サッカーが上手くなりやすい環境とはどのようなものでしょうか?世界で勝負できるような上手で強いサッカー選手になるにはどんな環境が必要でしょうか?
整えられた良い芝生のグラウンド?
設備が揃ったトレーニング施設?
バランスの良い食事?
技術や知識の豊富なコーチやトレーナー?
確かにこういった条件が整えばそれはそれで良い選手が育つかもしれません。しかしウルグアイという国は、残念ながらこういったものが十分に揃う環境ではありません。
ー環境が揃っていないからこそ、サッカー
ウルグアイに行くと、都会でも田舎でも、どこででもよく見かけるものがあります。
それはサッカーグラウンド。もしくはサッカーのゴール。ゴールにはネットはなく、ただの野原にポツンとゴールがあるだけ。何もないけどサッカーのゴールはある。逆に言えばゴールしかない。
ボールさえあればどこででも出来るスポーツ、それがサッカー。ゴールとボールしか遊ぶ道具がない。そんな環境で暮らす子どもたちに夢を与えられるスポーツ、それがサッカー。
これこそがウルグアイにおいてサッカーが盛んな理由であり、尚且つ選手が強く成長する大きな要素なのだと思います。
ーウルグアイの英雄
ウルグアイのサルトという都市の中の目抜き通りが交差する十字路。ここにウルグアイ代表の空色のユニフォームを着たスアレスの像が立っています。
彼はウルグアイの英雄であり、サルトの出身だからこの地に像があるのです。
ーウルグアイを救った男スアレス
スアレスは19歳でオランダのチームに引き抜かれ、その後イングランドのリバプール、スペインのバルセロナでプレーし、それぞれのリーグで得点王になっている世界的なストライカー。
しかし、スアレスは相手チームの選手に噛みつくなどサッカー選手らしからぬプレーをするため、批判の対象になることも少なくないです。
おそらく最も有名なエピソードを紹介しましょう。それは2010年のワールドカップの準々決勝、ウルグアイ対ガーナの試合での出来事。
この試合のスコアは1対1だったのですが、試合終了間際、ガーナにチャンスが訪れました。
ガーナの選手の放ったシュートがウルグアイのゴールに吸い込まれそうになった時、スアレスはわざと自分の手を出してゴールを守ったのです。当然ながら審判はスアレスをレッドカードで退場にし、ガーナにはPKを与えました。
しかしこのPKをガーナの選手が外し、ピンチを脱したウルグアイが最終的にはこの試合に勝利したのです。
もしスアレスがハンドの反則を犯さずにそのままガーナのゴールが決まっていたら、おそらくウルグアイは負けていたでしょう。スアレスはウルグアイを準々決勝敗退から救ったのです。
その試合のダイジェスト動画です。(3分20秒からが問題のシーンです。)
↓↓↓
ー問題プレイヤーか?英雄か?
何故スアレスは退場になるの覚悟の上で、ハンドの反則をしたのでしょうか。
答えは簡単。
どんなことをしても勝ちたかったから。絶対に負けたくなかったから。勝ちと負けでは評価が全く異なることを知っているから。
彼はこの時のことをこんな風に答えています。「選手としてできることをしたまで」
スアレス本人と会って話したことがあるわけではないのでこれは推測になりますが、自分が退場になっても、反則をした卑怯者と言われても、自分の母国ウルグアイが一つでも上に行くことを願い、自分たちを応援する人々に希望を与えたかったのではないかと思います。
スアレスは非常に貧しい家庭に育ったそうです。
彼は子どもの頃、水色のユニフォームで戦うウルグアイ代表の勝利を期待し選手たちを必死に応援してたからこそ、自分もそういう存在になりたいと思って勝負にこだわっているのではないでしょうか。
ーウルグアイ人にとって重要なもの
ウルグアイ国民の多くはスアレスを問題プレイヤーではなく、人々に夢と希望を与える英雄と捉えています。
だからこそ、彼の像があるのです。
サッカーは人々に光を見せられるものであり、ウルグアイ人にとって重要なものの一つなのでしょう。